贈賞理由

トンチャイ・ウィニッチャクン氏は、地図というビジュアルな資料の作成と利用のされ方に着目し、近代的な国家と国民がいかに確かな実態として人々の心の中に入り込み、存在するようになったかについてアジア発の問題提起を行い、世界の人文・社会科学に大きな影響を与えた。国家と国民が創られたものであるゆえに両者の関係をより良く作りなおしてゆくことが可能であることを信じ、研究成果・知見を社会改革のために活用することを真摯に心がけてきた。また大学と社会をつなぎ、次の世代の若者と子どもたちのために、より良い社会を作ることに貢献してきた。

トンチャイ氏は1957年にタイのバンコク都で生まれ育った。大学教育をバンコクで、大学院教育をオーストラリアで受けた。1988年から3年間タマサート大学で講師を勤めた後、1991年から米国ウィスコンシン大学マディソン校歴史学科の助教、1995年から准教授、2001-16年に教授を務めた。その間2003年にはアメリカ芸術科学アカデミー会員に選出された。2012-16年に米国アジア研究協会理事、2013-14年は会長を務めている。2015年は京都大学東南アジア研究所およびシンガポールのISEASユソフ・イシャク研究所に客員研究員として滞在し、2017-19年は日本貿易振興機構のアジア経済研究所上席主任調査研究員として学術の国際交流に貢献した。

1975年のベトナム戦争終結後の混乱が続くタイで、トンチャイ氏はタマサート大学における学生運動を主導した。1976年10月5日の夕刻、氏は軍事独裁政権の復活の動きに反対して大学構内で集会を開いていた。そこを国境警備警察や右翼組織が襲い、50名近い学生が犠牲となった。「血の水曜日事件」と呼ばれるこの惨事の直後に軍がクーデターを起こし、氏は逮捕された。2年間の投獄の後に国王の恩赦によって釈放され、復学したのちシドニー大学大学院に留学した。

そこでの博士論文は『地図がつくったタイ: 国民国家誕生の歴史』(2003年)として出版された。国民や国家という自明の観念が、実は地図の制作と普及によって恣意的かつ人為的に創造されてきた歴史を、タイを事例として実証的に考証し、ベネディクト・アンダーソン(福岡アジア文化賞受賞者)をはじめ、東南アジアを越えてナショナリズム研究に大きな貢献をした。同書は2004年に第16回アジア太平洋賞大賞を受賞している。またMoments of Silence: The Unforgetting of the October 6, 1976, Massacre in Bangkok(和訳:沈黙のとき)(2020年)では1976年の虐殺事件を自らの経験を振り返りながら考察することで新たな歴史学の方向性と可能性に挑んでいる。同書は2022年に欧州東南アジア人文学賞と2023年に米国アジア研究協会ジョージ・M・ケイヒン賞を受賞している。

また近年も、王政と民主主義、国民国家、法治の制度などの歴史と現状と今後についてタイ語で8冊の単著書を発表し、タイの学生や市民の政治意識や活動を支え導く存在となってきた。学術面における独創的で国際的な活躍とともに、民主主義と市民社会を発展させるためにコミットする姿勢はアジアに生きる知識人の範となるもので、トンチャイ・ウィニッチャクン氏のその貢献はまさに「福岡アジア文化賞 大賞」にふさわしい。

 

受賞決定時のメッセージ

福岡アジア文化賞の受賞の報告を受けた時の気持ちを表すのは難しいですが、感動と驚きで圧倒されました!

福岡の皆様から贈られる本賞をとても光栄に思います。

タイと東南アジア研究への献身、そしてタイにおける民主主義と社会正義に対する私の取組みの両方が福岡アジア文化賞に関わる皆様、そして福岡市の皆様に認知して頂き大変嬉しく思っています。

私は、例え現実の生活や社会と無関係と思われるような知識であれ、それらを追求することと、民主主義や社会正義を擁護することは、相互に貢献するものだと信じています。

功績紹介動画

授賞式での受賞スピーチ動画

受賞者の写真

幼少期、家族とともに(1966年頃) *中央がトンチャイ氏
シドニー大学の学生時代(1982年)
ウィスコンシン大学マディソン校の助教時代(1991年)
タイ研究国際会議にて(左から:デビッド・ワイアット氏、チャーンウィット・カセートシリ氏(福岡アジア文化賞受賞者)、トンチャイ氏、石井米雄氏)(1996年)
シンガポール国立大学にて(アジア研究学会)(2014年) ©シンガポール国立大学Asia Research Institute
AAS(Association of Asian Studies)の会議にて ※「Moments of Silence」でジョージ・McT・ケーヒン賞を受賞(2023年)